寝る前に読んでいる本

世にも奇妙な人体実験の歴史

世にも奇妙な人体実験の歴史

これを寝る前に読むと,悪夢をみることができます。

種々の人体実験の無謀さにも驚きますが,それらの実験の前の「医学」的見解のデタラメさは,もっと恐ろしいです。昔の小説の中に出てくる「瀉血」療法の実態には驚きます。人為的に出血多量状態を作り出して,それを治療と信じていたなんて。

私のアイドル

 昭和40年代,星新一さんの「ある商売」というショートショートを家庭向きの雑誌で読んで以来,星さんがアイドルでした。高校生になり,自分で文庫本を買える位の小遣いが自由になり,ずらーっと星さんの本をそろえました。繰り返し繰り返し,読みました。エッセイ集「きまぐれ星のメモ」はボロボロになるまで読んで,買い直しましたね。あそこで指摘されていた「米中和解したら日本国政府はどうするのか」という文章,昭和40年頃の文章ですが,私が読んだのがニクソンショックキッシンジャー外交の頃だから,インパクトありましたね。
 以来,亡くなられるまで氏のショートショートとエッセイを愛読しました。最近,書棚を整理していて,昔の文庫が出てきて,また読み返しています。普遍的で,古くならない文章です。
 星新一さま,先生の文章はもはや古典です。

こんな本を読んでいる

 

革新幻想の戦後史

革新幻想の戦後史

結構、評判がいい本なので購入して、ゆっくり読み始めた。しかし今のところ、あまり面白くない。今さら「革新幻想」の悪口を書いても仕方がないだろう。昔、永六輔中山千夏らの一派が選挙に出たとき「革新自由連合」と名乗った。さらに昔、「革新統一」という言葉が輝いた時期もある。あの時代の「革新」の輝きの理由を改めて考えてみたいと思って読んでいるのだが、今のところ、よくある「進歩的文化人」の欺瞞を暴く、といった調子の域を出ていない。こういう文章って、方向を変えればそのまま「○○は素晴らしい」に変わってしまうと考えている。
日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点 1951-1964 (講談社選書メチエ)

日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点 1951-1964 (講談社選書メチエ)

最近、60年安保闘争について考える機会があったので、あえて読んでみた。それこそ「革新」にとって、60年安保というのは建国神話みたいなものだから、あえて逆コースから攻めてみた。
肉食妻帯考 日本仏教の発生

肉食妻帯考 日本仏教の発生

これは趣味の本。

今かかわっている仕事が、かつてオールド左翼系だった法律事務所の仕事で、組合関係者などと話す機会も多い。そこで出会う人々と話すうちに、いろんな温度差や体質の違いを実感する。政治屋の汚さも目にする。その中で、自分で考えていきたいと思っている。

匿名ブログの良さ

このところ、フェイスブックにばかり書き込んでいる。メーラーを開くと、知人が「いいね!」と言ったとか、コメントをつけたとかお知らせが入るので、ついついそちらで時間をとってしまう。
あちらは実名公開なので、表現も考えてしまう部分がある。触れてはいけない話題もある。
その点、こちらでは匿名の気楽さで、いろいろ本音を書ける。フェイスブックは、少なくとも私にとっては、営業や社交の場である。
真剣に考えたことを記しておくのは、こちらである。

私の住んでいる前橋市で、市長選挙があり、市長が交代した。選挙前、周囲の大多数の意見は、現職も嫌だが、今回当選した人物にも投票したいとは思えない、というものであった。その意味で究極の選択のような選挙だった。
今回の現職敗北の一因として、前にこのブログに書いた収納課の苛酷な取り立ての実態があった、と思う。私自身、選挙で現市長を引きずり下ろしたいと、本気で思った。国民年金の支払日を狙った預金の差押も聞いていた。さらに、収納課に相談に行った際の、極悪人扱いのような態度、人の話をきかない若い課員の物言い・・・。みんな絶対に恨んでいたと思う。
さはさりながら、今回の選挙の結果には疑問が残る。当市では、ようやくさまざまなプロジェクトが緒についたところである。これまでの痛みに対して、ようやくそれらの成果を享受できるところまできていた。にもかかわらず、苛酷な滞納税の取り立てに対する恨みを理由に、なんのビジョンも示せない候補者を勝たせて良かったのだろうか。

不思議なこと

以前から不思議というか違和感を覚える、というか考えていたことがある。

「政治=人事」と勘違いしている場合が多すぎないか。

最近、これを実感したのが例の防衛局長の不適切発言をめぐっての話。その前の話題だった(というか、今だってずっと続いている重大な話題)TPPについては、はっきりした見解を打ち出せない、あるいは考えていない人々が、防衛省の「責任」については、非常に元気いっぱいに「○○のクビをとれ」と張り切っている。防衛局長のオフレコ発言の下品さはともかく、彼のような発想をする人間がいるのは周知の事実で、そうした問題は指摘され、批判されなければならないことまでは理解できる。しかしほんの数ヶ月前に「素人」として大臣になった人物や、直接の発言者でもない幹部連中の辞任を求めることに、どのような実質的メリットがあるのだろう。見せしめ人事のせいで、また事務処理が停滞するだけなのではないか。部下の不祥事で、トップが辞任しなければならない場合がないとまでは言わない。しかし、それはあくまで例外であり、トップは不適切な言動をとった部下を懲戒、解任し、事態の再発を防ぐことで責任を果たせるのではないだろうか。ただ辞めさせればいい、それが政治的勝利だというのは愚かな大衆民主主義的見世物であって、まともな政治家のやることではない。ましてやトップの辞任による免責(事態のうやむやな終息)は絶対許されないと思う。「一死大罪を謝す」は、もはや組織としての未来が否定されていた状況下における武人の責任のとりかたであった。大臣を辞任するだけで、議員を辞めさせるわけでもない騒ぎと同列に論じられるものではない。
トップが一番つらいのは、事態が錯綜して手の下しようもないときに、トップにとどまらなければならない場合である。辞めるほうが余程ラクな場合が多いのだ。

みなもと太郎の「風雲児たち」という大長編漫画がある。その初めのほうの主人公のひとり。林子平が京都の公家を訪ねて、政治の話題を求めると、彼らが重大事として示したのは「尊号」問題だった。当時の光格天皇(だった、と思う)の父親は天皇ではなかったが、彼に対して上皇((太上天皇)の尊号を送るべきか否か、という問題である。林子平の問題意識は、鎖国下の日本に迫る列強にどのように対峙するかであったから、およそ「政治問題」として議論がかみ合わず、ずっこける(死語)ことになった。

今、議論しなければならないのは人事でも政権交代でもない。日本が近未来において、環太平洋合衆国の一員となるような道筋をたどりそうなとき、その選択について考えなければならないのだ。あるいは東日本大震災からの復興と、日本の未来を語らなければならないのだ。

政治家は選挙に勝たなければならないから仕方がない部分もあろう。しかし、マスコミよ新聞よ。いいかげんに、人事を語ることが政治だとの論調の愚劣さを指摘すべきではないのか。

今月も忙しかった

 自分でも驚くほど、頑張った月でした。2日あった祝日も、両方とも出ていましたし、土日をつぶした活動もありました。東京に芝居を観に出かけたり、映画撮影の裏方をやったり、行政書士の講習会や仕事、アルバイトの法律事務所で山ほど交通事故や離婚、破産事件も扱いました。飲み会も多かったけど、本もたくさん読んだ。
 思えば4年前の今頃は前立腺ガンの治療で千葉県で入院、自宅で療養しておりました。ここまで元気になれたことを御医者様に感謝しています。
 司法試験予備試験は論文で落ちましたが、思ったより良い成績でした。あと1歩というところかな(甘い)。自分の人生を振り返って、司法試験にかかわらなければどうだったか、という思いはあるのですが、現在、いろんな人の悩みを聞いてあげられるのも、この試験を受けていたからであり、自分の性格からして、そんなに悪くないと思っています。
 あと1か月、充実した日々を送りたいと素直に思う、11月の末です。

読書の秋

フェイスブックの方には書き込んでいるんだけど、こちらがご無沙汰気味になってしまいがち。久しぶりに昔の記事にコメントをつけてもらって、少し読み返してみたけど、前はこまめに読書録をつけていたのね。自分の書いたものながら、面白く読み返せました。そんなわけで、今日は久しぶりに読書の記録。

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

書店で見つけて購入。ぶ厚い本で、読み切るのに時間がかかりましたが、面白かったです。現代のニューヨーカーであるユダヤアメリカ人が、聖書の律法通りに暮らしてみたらどうなるか、という企画。しかし当初の興味本位の企画が、だんだん本人の精神構造にも影響を及ぼしていく様が描かれる。もちろん現代人から見てあほらしいタブーも聖書にはあるわけだが、それらも含めて神との約束だから受け入れるという立場を自分に課し続けることで、逆に現代の孤独や欺瞞に直面することになる。ほかにアーミッシュなど、現代アメリカの宗教国家ぶりも描かれており、それらも興味深い。読む値打ちあると思います。
牛頭天王と蘇民将来伝説の真相

牛頭天王と蘇民将来伝説の真相

武塔の神、スサノオノミコト牛頭天王蘇民将来。全国にある八坂神社のご祭神はスサノオノミコトですが、明治の神仏分離以前は牛頭天王が祭神だったのです。それらの神社(祇園社)は厄病除けの神社であり、その起源には備後国風土記に描かれたという武塔の神と蘇民将来の説話、さらに武塔の神がスサノオノミコトと最後に名乗ったという記述があります。これらの材料を全国の牛頭天王社を訪ね、その起源をさぐる中で、古代に朝鮮から渡来した民族と日本列島の勢力との関係までも推理していきます。正直、推理部分は飛躍が多く、やや説得力に欠ける面もあると思いますが、神社めぐりの部分は非常に楽しく、自分が神社を訪れて、お話をうかがっているような気持ちになれました。日本と朝鮮の関係については、さまざまな感情が客観的事実を隠してしまうことが多いですが、基本的には、ヨーロッパにおけるドイツとフランス、イタリアのような関係だと思います。
落語進化論 (新潮選書)

落語進化論 (新潮選書)

これも面白い。けど客を選ぶかな。噺家が好きな人はやめといたほうがいいかもしれない、これは落語家の本だから。立川談志ゆずりの理論家、志らく師匠の語り口は熱く、やや押しつけがましい。落語が無形文化財=古典芸能になってしまうという危機感はわかる。あるいは滅びゆく芸能(日本の「ストリップ」のような)になってしまうという危機感もある。
でも「江戸の風」という厳しいハードルを課しながら、有名どころに対しては例外として認めているあたりの「ぞろっぺい」さは、やはり「噺家」の血でもあるのだと思う。噺家でも落語家でも、いいものは好きだよ。それを理論で正当付けても、一番大事な味が逃げられてしまう気がするんだが。