読書の秋

フェイスブックの方には書き込んでいるんだけど、こちらがご無沙汰気味になってしまいがち。久しぶりに昔の記事にコメントをつけてもらって、少し読み返してみたけど、前はこまめに読書録をつけていたのね。自分の書いたものながら、面白く読み返せました。そんなわけで、今日は久しぶりに読書の記録。

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

書店で見つけて購入。ぶ厚い本で、読み切るのに時間がかかりましたが、面白かったです。現代のニューヨーカーであるユダヤアメリカ人が、聖書の律法通りに暮らしてみたらどうなるか、という企画。しかし当初の興味本位の企画が、だんだん本人の精神構造にも影響を及ぼしていく様が描かれる。もちろん現代人から見てあほらしいタブーも聖書にはあるわけだが、それらも含めて神との約束だから受け入れるという立場を自分に課し続けることで、逆に現代の孤独や欺瞞に直面することになる。ほかにアーミッシュなど、現代アメリカの宗教国家ぶりも描かれており、それらも興味深い。読む値打ちあると思います。
牛頭天王と蘇民将来伝説の真相

牛頭天王と蘇民将来伝説の真相

武塔の神、スサノオノミコト牛頭天王蘇民将来。全国にある八坂神社のご祭神はスサノオノミコトですが、明治の神仏分離以前は牛頭天王が祭神だったのです。それらの神社(祇園社)は厄病除けの神社であり、その起源には備後国風土記に描かれたという武塔の神と蘇民将来の説話、さらに武塔の神がスサノオノミコトと最後に名乗ったという記述があります。これらの材料を全国の牛頭天王社を訪ね、その起源をさぐる中で、古代に朝鮮から渡来した民族と日本列島の勢力との関係までも推理していきます。正直、推理部分は飛躍が多く、やや説得力に欠ける面もあると思いますが、神社めぐりの部分は非常に楽しく、自分が神社を訪れて、お話をうかがっているような気持ちになれました。日本と朝鮮の関係については、さまざまな感情が客観的事実を隠してしまうことが多いですが、基本的には、ヨーロッパにおけるドイツとフランス、イタリアのような関係だと思います。
落語進化論 (新潮選書)

落語進化論 (新潮選書)

これも面白い。けど客を選ぶかな。噺家が好きな人はやめといたほうがいいかもしれない、これは落語家の本だから。立川談志ゆずりの理論家、志らく師匠の語り口は熱く、やや押しつけがましい。落語が無形文化財=古典芸能になってしまうという危機感はわかる。あるいは滅びゆく芸能(日本の「ストリップ」のような)になってしまうという危機感もある。
でも「江戸の風」という厳しいハードルを課しながら、有名どころに対しては例外として認めているあたりの「ぞろっぺい」さは、やはり「噺家」の血でもあるのだと思う。噺家でも落語家でも、いいものは好きだよ。それを理論で正当付けても、一番大事な味が逃げられてしまう気がするんだが。