夜の大作戦

 なんで調べていたのか忘れてしまったのだけれども、ネットで「藤田まこと」さんを調べていたら、「夜の大作戦」という番組名が出てきた。Wikipediaでは、この項目は書かれていない、ということなので、記憶に頼り投稿したら、不適切ということで即削除されてしまった。

 削除はかまわないけど、「夜の大作戦」について知りたい人がいるかもしれないので、以下に書いておきます。


 「夜の大作戦」とは

 MBS毎日放送)制作の深夜バラエティ。昭和45年頃から昭和49年頃までの放映(但し、これは関東地方すなわち東京12チャンネル(現、テレビ東京)でのことです。関西での状況は知りません)。関東では、土曜夜10時半頃から1時間枠だった。

 司会は、藤田まこと と 桑原幸子(「プレイガール」等出演の女優)で、番組の終盤期には八木治郎(元NHKアナウンサー、「びっくりショー」等の司会)が司会をしたこともある。

 内容は、オープニングコント、ゲストの演芸・歌、海外パフォーマーによるフロアショー(アクロバットなど)、映画製作コント、それに「ショークリメ」という構成が多かった。ほかに応募視聴者が出演して、桑原幸子あてのラブレターを読むようなコーナーがあった気もする。

 「ショークリメ」というのは、スカートをはいたモデルが5名程度、台の上で当時のゴーゴー(ダンス)を踊っており、司会者の合図で、そのうちの1名の足下から送風機で風が吹き出して、スカートをまくり上げるというもの。どのモデルにあたるかをゲームとして楽しむ。最後に、全員のスカートがまくられる。今となってみれば他愛のないものだが、人気コーナーだった。後に上からシャワーをかける「ショーデヌレール」とかの亜種に替わっていった。

 映画製作コントは、「しゃぼん玉ホリデー」中のなべおさみ安田伸らによるそれとよく似た設定のものだったが、出演者が関西ローカル(その当時)のコメディアンが多く、独特の味があった。
藤田まことが監督。他にレギュラーで花紀京岡八郎などがおり、間寛平レツゴー三匹、寛太寛大なども出ていたと思う。コントの中で毎回、藤田が「十三(じゅうそう)のスナックで・・」などと「十三」を話題にし、そこから藤田の「十三の夜」という曲がつくられ、そこそこヒットした。

 全体に、当時の他局の深夜バラエティと比べておとなしい番組だったが、テレ東の土曜深夜お色気路線のハシリともいうべき番組であり、山城新吾の「独占!おとこの時間」を経て、後の「ギルガメッシュナイト」まで続くきっかけとなった番組といえるのではないだろうか。