軍服を着た救済者たちの翻訳が悪い

例によって,翻訳の文章が悪くて読むのに苦労しています。逆に言うと,私が指摘しない多くの本の翻訳は,読みやすく,こなれた日本語になっているということ。そうした翻訳が増えています。悪名高きI文庫も改訳本が出始めたし。光文社の文庫には,種々の批判もあるようですが,翻訳本であっても,「読み易い」日本語を供給すべきという1点で支持されたのではないでしょうか。

なかなかブログを書けない

こちらのブログとFBの使い分けが難しい。FBでは,あたりさわりのない話題で「いいね!」の繰り返し。深みが無い。
どうでもいいような他人の日常に,コメントをつけるのもうざくなってきました。他の人も同様かな。いつも書き込んでいる人,それも日に数回書き込んでいる人などは,リアルでは「発達障害」と陰口を言われたりしている。なんか二重に差別的で嫌な悪口だけど,あまりに押しつけがましい書き込みっぷりに,ひいてしまうのは仕方がないと思う。

今年・・

 今年は,司法試験予備試験合格の予定だったのが,論文で落ちた。理由は,知識不足。従来の司法試験当時から知識のなかった商法や民法について,短答式や日頃の法律相談ではボロが出なかったのに,今年の問題に歯が立たなかった。そこで真面目に,10数年ぶりに知識を入れ始めた。
 仕事では,自分自身の行政書士仕事をこなしている時間がとれず,弁護士事務所の手伝いに終始した。そのうちの1件が,メガソーラー発電所の新設案件で,その資金調達に振り回された。今も振り回されている。まことに世の中には,種々の「紳士」たちが暗躍していることを再確認。思うに,日本にまともなバンカーが少なすぎるのではないか,と思う。だから,あの手の「紳士」が暗躍できるのだ。
 身体は,狭心症の発作。友人が今年,心筋梗塞で倒れたこともあり,ニトロ錠を携帯している。ほかに尿酸値を抑える薬も飲んでいる。

 来年こそは,環境を変えられるように頑張りたい。

詐欺師とブローカー

 ブローカーが怪しげな儲け話を持ってきて,欲の深い爺さんたちが食いつきました。そこに詐欺師のようなコンサルタントがやってきて,割高な手数料をとって,怪しげな設備を売りつけようとしています。
 そこに傲慢な〇〇が欲の皮をつっぱらかして,よせばいいのに,金をつぎこみました。
 どこにもまともな神経をもった実務家はいません。なのに欲の深い夢ばかり描いています。自業自得だと思いますが,みにくい・・・,です。

避難場所

 実名表示のフェイスブックに,知り合いがたくさん入ってきて,言いたい放題ができなくなってきたため,こちらに戻って来ました。
 仕事場の不満などを書きこんだりすると,家人に心配をかけてしまうので,当り障りのないことしか,FBには書き込めませんね。

 昨年,司法試験予備試験の論文式合格点に1点足りずに不合格になりました。今年は頑張ろうと思っていたのですが,仕事がメチャクチャに忙しくて勉強時間がとれません。このままでは短答式も危ない状態です。
 それというのも,バイト先の爺さん弁護士の怠慢の後始末で時間がかかるからです。本来の業務に加えて,雑用が積み重なり,おまけに事務所におしゃべり婆さんがやってきて,邪魔をします。仕事ができる環境ではありません。

 老害という言葉は使いたくありません。自分だって年齢を重ねるのがわかっていますから。それでも,傲慢な小人が虚勢をはったまま,年齢を重ねると,やっぱり「害」以外の何物でもないですね。

複製された男

複製された男 (ポルトガル文学叢書)

複製された男 (ポルトガル文学叢書)

 ノーベル文学賞受賞者ジョゼ・サラマーゴの作品。この正月に読みました。
始めは、布団の中でぐだぐだしながら読もうと思ったのですが、寝転びながら読める文体ではありませんでした。
改行(改段落)無しの、妙に馴れ馴れしい文章が延々と続きます。会話らしきものは、(おそらくは訳者の好意で)「」に入れてありますが、それとても、実際にその会話があったのか、それとも登場人物が会話を想定したのかも、文体からは、はっきりしません。たとえば、登場人物がある行為をした後、その交際相手に電話をしたらこのような会話になるだろうという意味の文章の後に、「会話」が書かれます。次の地の文章によれば、前の会話は実際に交わされたことになっています。
 作者はわざとこのような文体を使用しているらしく、訳者はそれを翻訳、踏襲しているのだと思います。
翻訳の限界かな、と思います。異文化の言葉・文字で作られたものを、その形式に似せて翻訳しても、所詮は難解な悪文の塊ができるだけなのかもしれません。その意味では翻訳者のご苦労がすごくよくわかる文章です。
で無理して読みとった内容なのですが。
 10年前頃、哺乳類のクローン誕生が成功したことが「文学者」の皆さんに大きなショックを与えたのかな。カズオ・イシグロも、臓器提供のために生を受けたクローンたちを主人公にした作品を書いているし。サラマーゴによる本作も、クローンの存在が作品のモチーフになっていますが、内容的には、神経症的な小市民の主人公が、自分のクローンらしき人物を偶然見つけ、対面し、そのために悲劇的結末を迎えるというストーリーで、若い頃、SFを読み漁った人間には、どうということのないものです。それがわかりにくく、回りくどい文体で書いてあるだけ。
 で、細かい難癖をつけると、複製された男は、母にとって自分はひとりなのだと悟るんだけど、自分そっくりの人間がもう一人いると知った場合、その相手の両親は誰なのか、あるいは誰とされているのかに興味をもつと思います。逆に言えば、自分の母は真実に母なのかの疑いをもつと思います。また途中で、ふたりのソックリさんは、生年月日の確認をするんだけど、クローンの生年月日に意味があるのかね。もしかして作者は分割された受精卵を、別々の母親の子宮に入れたあげく、同日に出産させたと考えたのかな。物語中では、片方が片方より、31分早く生まれているから、オリジナルだと主張しているんだけど、それは無茶な理屈だろう。まあ、そういう「無茶」のアホらしさを含めて、アイデンティティの問題や、コミュニケーションの困難などの「現代的」主題を追究した作品なのでしょう。
 でもこの作品の価値は認めます。読みにくいかどうかは別にして、小説というジャンルを構成する文体の自由(不自由)を考えさせてくれました。なんでもあり、というのが文学の世界なのです。これを糞と呼ぶか傑作と呼ぶか、なんて些細な問題に過ぎません。

再会

 数年前の親友の葬儀で,40数年ぶりに小学校時代の友達と再会した。それがきっかけで,これまで疎遠になっていた方々に対して,こちらから積極的に連絡をとるようにしてみた。その流れで,およそ10年ぶりに,中学校のクラス会も開いた。
 それとは別の流れで,フェイスブックを利用した関係で,昔の仲間と再会できた。それぞれ頑張っている姿に強い刺激を受けている。
 それらの一連の流れを動機づける要素として,自分自身の健康問題がある。数年前の前立腺ガンはどうやら克服できたようだが,今度は心臓に問題が出てきた。狭心症の発作が,この夏に始まってしまった。これで,会いたい人間には会えるときに会っておかなければならない,という当たり前の事実を再自覚したのである。
 そういうわけで,20数年前に失恋した異性に連絡をとった。片想いで,今思えばストーカーまがいの言動をとった相手だったが,彼女が言った「20年じゃ足りないかもしれないが,30年たったら絶対に会えるようになる」との言葉に甘えたくなった。フェイスブックで友達リクエスト,互いを確認した後は,ごくまれに「いいね」を交換するだけの関係だが,最後の電話で「私が死んでも,あなたが病気になってもわからないじゃないの」と,こちらの絶交に泣きながら抗議した相手との交流としては,ここまでできたのは奇跡だと思う。
 この文章,特に最終段落部分はフェイスブックにはとても書けない。このブログを残しておいた意義は,この最終段落のためだったのだと思う。