複製された男

複製された男 (ポルトガル文学叢書)

複製された男 (ポルトガル文学叢書)

 ノーベル文学賞受賞者ジョゼ・サラマーゴの作品。この正月に読みました。
始めは、布団の中でぐだぐだしながら読もうと思ったのですが、寝転びながら読める文体ではありませんでした。
改行(改段落)無しの、妙に馴れ馴れしい文章が延々と続きます。会話らしきものは、(おそらくは訳者の好意で)「」に入れてありますが、それとても、実際にその会話があったのか、それとも登場人物が会話を想定したのかも、文体からは、はっきりしません。たとえば、登場人物がある行為をした後、その交際相手に電話をしたらこのような会話になるだろうという意味の文章の後に、「会話」が書かれます。次の地の文章によれば、前の会話は実際に交わされたことになっています。
 作者はわざとこのような文体を使用しているらしく、訳者はそれを翻訳、踏襲しているのだと思います。
翻訳の限界かな、と思います。異文化の言葉・文字で作られたものを、その形式に似せて翻訳しても、所詮は難解な悪文の塊ができるだけなのかもしれません。その意味では翻訳者のご苦労がすごくよくわかる文章です。
で無理して読みとった内容なのですが。
 10年前頃、哺乳類のクローン誕生が成功したことが「文学者」の皆さんに大きなショックを与えたのかな。カズオ・イシグロも、臓器提供のために生を受けたクローンたちを主人公にした作品を書いているし。サラマーゴによる本作も、クローンの存在が作品のモチーフになっていますが、内容的には、神経症的な小市民の主人公が、自分のクローンらしき人物を偶然見つけ、対面し、そのために悲劇的結末を迎えるというストーリーで、若い頃、SFを読み漁った人間には、どうということのないものです。それがわかりにくく、回りくどい文体で書いてあるだけ。
 で、細かい難癖をつけると、複製された男は、母にとって自分はひとりなのだと悟るんだけど、自分そっくりの人間がもう一人いると知った場合、その相手の両親は誰なのか、あるいは誰とされているのかに興味をもつと思います。逆に言えば、自分の母は真実に母なのかの疑いをもつと思います。また途中で、ふたりのソックリさんは、生年月日の確認をするんだけど、クローンの生年月日に意味があるのかね。もしかして作者は分割された受精卵を、別々の母親の子宮に入れたあげく、同日に出産させたと考えたのかな。物語中では、片方が片方より、31分早く生まれているから、オリジナルだと主張しているんだけど、それは無茶な理屈だろう。まあ、そういう「無茶」のアホらしさを含めて、アイデンティティの問題や、コミュニケーションの困難などの「現代的」主題を追究した作品なのでしょう。
 でもこの作品の価値は認めます。読みにくいかどうかは別にして、小説というジャンルを構成する文体の自由(不自由)を考えさせてくれました。なんでもあり、というのが文学の世界なのです。これを糞と呼ぶか傑作と呼ぶか、なんて些細な問題に過ぎません。