仕事で嬉しかったこと

現在、自分の行政書士事務所のほかに弁護士事務所を手伝っている。そこに持ち込まれる事件のうち、相談者自身が悩みをふくらまし過ぎて苦しんでいるものが少なくない。
それは、30年近く前にあった職場トラブルについての案件だった。聞けば、かなり同情を誘う内容なのだが、そこに相談者の「思い込み」が入っているのも明らかだった。いわゆる「郵便ポストが赤いのも・・」と言った調子で、相談者の周囲に起る不幸・不運はすべて、昔の職場トラブルが原因なのだという。
この人は、独学で訴訟手続を学び、見よう見まねで最高裁まで上告(却下)まで行っていた。その上、さらに訴訟を望んでいた。
自分は半年近く、誠意を込めて相談者の声を聞き、対応を一緒に考え続けた。
その結果、つい先日のこと。相談者が晴れ晴れとした顔で、もう訴訟は止めると宣言した。この問題で悩むことも、もうやめると言ってくれたのである。彼女にとって、最初の不服申し立てから20数年ぶりのことである。
人の救いとは何か、を考えたとき、必ずしも思い通りに事が展開することとは限らない。
思うに、人が自分を苦しめているモノの正体を知るとき、そしてそれを駆逐するとき、そこに救いがある。
あるいは、地獄は自分で作ってしまう場合もあるのだということである。もちろん社会や他人から現実に理不尽な攻撃を受けたため苦しんでいる場合も多い。しかし、そうではなく自分で自分の周囲に不幸を見つけ、余分な行動により、それを大きくふくらませてしまうケースも多いのだと思う。
相談者が余生を少しでも快適に過ごせることを祈っている。