大相撲の呼び出し

 わたしの少年時代。夕方の匂いは、鉄の焼ける匂いと、少しいぶせっぽい薪の燃える煙が入り混じった、風呂をわかす匂い。どこかの家から「ひがあしいー、・・」と相撲の呼び出しの声が聞こえてくる。もう5時だから帰らなけりゃならない。うちは小さなお店で、両親は働いているから、自分が風呂をわかす。前夜の湯を落として、風呂を洗い、水を張ったら、紙をたきつけにして、薪でわかす。わかしながら、相撲は・・見ない。再放送の「月光仮面」や「ピロンの秘密」「恐怖のミイラ」なんかを見ようとする。でも、まわりの家からは大相撲中継の音が聞こえきて、結局、チャンネルはぐるぐるまわる。

 大相撲の生中継がない夕方。足りないのは「呼び出し」の声だと思う。子供の頃に、相撲が嫌いだったのは、何度も立ちあがっては塩をまく動作にじれったさを感じたから。それでいて決まり手は、ほとんどが「押し出し」。紙相撲の方がよっぽど興奮した。なのに、大人になって懐かしく思い出されるのは緩慢な立会いや呼び出しのゆるやかなテンポ。分解写真による勝負の解説さえなつかしい。

 ダイジェストの放送は、大相撲中継とはいえない。

 それにしても、不寛容なマスコミよ。マッチポンプなマスコミよ。現代のポン引きどもよ。正義派ぶるのは、もうやめてくれ。大相撲と暴力団の癒着をたたくのも結構だが、なぜ大相撲をたたく。そんなに正義派だったら、神戸でも京都でも熱海でも、そこでキャンペーンをはれよ。連日、有名組長にマイクをつきつけてみろよ。

 商業としてのマスコミに対しては、それが営利目的だという1点を忘れてはならない。詐欺師のデマゴーギーの罪は、そこらの暴力団より重いと思う。