権力分立ということ

 三権分立とか権力分立とかいう原理について、言葉はよく知られていると思う。その機能も、相互抑制による権力の濫用・腐敗防止と理解されているだろう。これを思い切って絞り込んで言えば、ズバリ「独裁者の出現」阻止なのだ。

 独裁者についていえば、それ自体では悪とは限らない。むしろ独裁権力を手中にするまでは、魅力的な人物だったり、正義に裏打ちされた人物であることが多いだろう。それに敵対するのは特権階層化し、国民の苦しみを理解しない「議会構成員」たち。どう見たって、悪いのは議員たちだ。

 しかし現代の多くの憲法は、独裁者の出現を警戒し、国の制度として独裁ができないように苦心している。そのために、行政の停滞があらわれても仕方がないと割り切っている。

 このことは、第二次世界大戦中の日本の大政翼賛会を考えてみればわかりやすいだろう。あそこで東條首相は、国策に協力しない議会は不要だとして、政党を解散に追い込み、議会の絶対大多数を手にした。最近の研究で明らかなように、東條英機なる人物は狭量で、攻撃的だったかもしれないが、決して私利私欲のために政治をほしいままにする人物ではなかった。むしろ彼は彼なりに、国のためを思って良かれと信じる行動をとったにすぎない。

 しかし結局のところ、反対意見を封じた政治=国家運営は国家を滅ぼしてしまった。

 わたしは、小泉純一郎氏の政治手法を憎むものであるが、同時に現在の小沢一郎氏への権力集中を憎む。

 さらに小沢氏の議院内閣制の理解は、まさにファシズムだと思う。議院内閣制とはいえ、行政と立法は相互抑制の関係に立たなければならないのだ、決して内閣を支持するためだけに議会があるのではない。

 独裁者は自己の独裁を正当化するために、つねに「国難」を強調するものだ。今日でいえば、それは「維新」か「政権交代による大改革」?


 民主党の中で小沢一郎を打倒する動きが出ることを期待する。