書店と喫茶店

 わたしが大学生になった頃、学生は喫茶店で議論するものでした。近くに古書店街や新刊書店がいくつもあり、ついでにニコライ堂もある街に学校があったので、とにかく喫茶店に行き、そこから本屋をまわり、また戻って「読書会」やら「ゼミ」、あるいは「新日鉄アワー」のテーマ曲であるジュピター(ホルスト作曲)が流れる店のカウンターで文庫本を読む毎日でした。大学図書館で、毎日1冊ずつ本を読もうなどと無謀な挑戦をしたりもしていましたが、わたしは図書館の静かな雰囲気が苦手で、永く続きませんでした。やはり本を読むなら「喫茶店」が一番でした。すずらん通りを入ったところの喫茶店で、当時はじまったばかりの講談社学術文庫を何冊も読了した思い出もあります。田舎で育ったわたしには、歩いて行ける本屋さんがたくさんあって、同じくらい喫茶店がある街での生活は夢のようでした。

 今はその「田舎」に戻って生活をしています。本についてはネットで買ったり、図書館で見つけたりする程度で最低限そろいます。昔みたいに、1日10時間以上も好きな本を読んでいられるわけじゃないから、その程度の量でも読むのがやっと、なのです。さみしい、ですけど。

 で、残念なのが読書できる喫茶店が絶対的に少ないこと。適度に静かで、2時間くらいは腰を落ち着けていられるような店が見つからない。それらしい店もあるけど、妙にご主人が「くせ者」っぽくて落ち着かない。いわゆる常連さんらしい人との会話を小耳にはさんだ限りでは、この店で馴染みになるとめんどくさそう。結局、30分いるのが精一杯だから、コストパフォーマンス的に問題がある。

 「古本カフェ」と名乗るお店もできたので、でかけましたが、ただのスナックでした。古本云々て看板出すなら、もう少し店内の工夫をしてもらいたいぞ、「りーでぃんぐ◯ーむ」。少なくとも、あの店内で本は読みにくい。


 病気の関係で、やっぱり飲酒は控えめにしたほうがいいらしいので、ちょっと出かけにくくなってしまいましたが、居酒屋さんで「隠れ家」のような店を見つけてはあります。変に愛想よく話しかける「マスター」もいない。あそこで、ちびりちびり飲りながら時代小説を読むのはいいかもしれない。

 「高円寺古本酒場ものがたり」という本を読みました。あれを読むと「◯ーでぃんぐるーむ」の経営にも想像が及び、店内で本を読もうとするわたしが悪いのだと反省したりする。

 ゆっくり本屋をめぐり、買い込んだ本の中から、どれを最初に読もうか悩んで、タンゴのかかる店かJazz喫茶か、はたまたクラシックがいいか、お店を選んで入る。そんな贅沢をしてみたくなる。さらば青春。

高円寺 古本酒場ものがたり

高円寺 古本酒場ものがたり