政治家の世襲について

 世襲議員という存在については、民主主義的観点からは問題がある気がする。何代も続く政治家の家系に対しては、政治屋という職業の世襲の感が否めず、もし議員の地位が「身分」といえるなら、その家系は「世襲貴族」と重なってくる。
 特に議員の急死によって、突如その親族が「後継者」として立候補するような場合、違和感が大きい。「誰それの息子だから、娘だから」、それだけの理由で当選してくる議員に対して、選挙制度の無意味さを感じる。

 反面、世襲議員であっても選挙の試練を乗り切って当選したことは事実である。民主政の過程を経ているのだ。ここに民主政のもつ危うさがある。形式的には、絶対に「世襲貴族」とはいえないのだ。

 要は議員の地位は御神輿にすぎず、地元の利権集団の構造の中で誰かを議員にする必要がある。だから世襲は必要なのだ、ともいう。そんな御神輿にふさわしい人間は、簡単にみつからない。その点、前任者の親族、息子・娘ならスムーズに御神輿の代替わりができるのだろう。


 そう考えてくると、問題は世襲議員の能力に対する疑問及び特定の地元利権集団の支配の継続の是非ということになる。政権交代が、権力の腐敗を防止、あるいは粛正に効果があるといえるように、既存の利益集団が固定化しないようにしなければ、その内部は不公平かつ歪んだものとなってしまう。首長の多選弊害も同様の問題だろう。

 以上のような観点からは、世襲議員に対して、地縁をもたない、親とは別の選挙区からの立候補を求めるという民主党の提言は妥当なものだと思う。少なくとも、地縁がない地区では、議員の能力に対する審査はより厳格になされるだろうからである。

 世襲議員の増大を放置することは亡国への道である。