良い本なんじゃないかと思うんだけど
先日、図書館に行ったら「日本近世思想史研究」(玉懸博之)という新刊があった。定価8600円+税だから、普通に買えば9000円以上の出費となる。
日本近世思想史ときくと、かの丸山センセのお顔が目に浮かぶし、ほかにも私が心の師とあおぐ加藤周一先生の著作を思い出させる。結構好きな分野なのです。
で、どうせ読む人なんかろくにいないだろうから(失礼)、借り出してきました。
そしたら、目次・本文を見てあきれた。このブログを読んでくださる方がいらっしゃるとして、以下の文字を読めますか?
彝倫抄
松永遐年
巵言抄
これらの文字にフリ仮名も、読み方の説明(たとえば、読みに争いがあるとか、なんとか)もない。
IMEパッドにより、一応の読み方を決めて読み進むことにしました。
また意味不明の文章を引用している場合でも、意味の説明なんかない。
「只一心ヲタヾシクロクニモツヲ肝要」
意味わかりますか?わたしは、読み方さえわからない。
ただ一心を正し、くろくに持つを肝要? くろくにもつ?
ただ一心を正しく、ろくにもつを肝要? 禄に持つ?
こんな調子で、とても不親切。まあ読者を限定した出版なんでしょうが。はっきり言えば、タマカケ先生の同業者か、先生の肉声による講義の受講生のみを相手にした文章なんでしょう。
昔の法律の本、たとえば伝説の我妻栄の「民法講義」なんかもこんな調子でした。あれは、民法全体を一応理解している学生じゃないと理解できない「教科書」で、たとえば「先取特権」をセンシュトッケンなんて読んでいる人は読むだけ時間の無駄です(サキドリトッケンと読むのがギョーカイ流です)。また、刑法総論の行為無価値や結果無価値の争い。あれは普通の日本語感覚なら、行為害悪と結果害悪とでもなるのではないか(要は、結果ではなくて、やった行為自体を悪いとするのか、害悪という結果発生ゆえに違法とされるのか、という争いなのですよ)。行為無価値は、行為の無価値性を問題にする立場です。決して行為を無視して(価値がないものとして)違法性を論じる立場ではありません。
今は、こんなバカな本は教科書とはされていません。初学者でも順番に読み進めていくことで、一定の理解に到達できる(弁護士くらいになれる)本がたくさん用意されています。そういう本を執筆されるご苦労は大変なものだろうと想像いたします。だって基本概念をもたない相手にそれを教えることから始めて、学説の争いまで言及するんですよ。内田貴先生は本当に偉い。
で、タマカケ先生の日本近世思想史研究は「教科書」ではないんだと思います。だから、ギョーカイの常識を踏まえていない読者を想定していない。
でもさあ、それってゴーマンじゃねえ?せめてさあ、一般人がほとんど見たことがないような字にカナくらいふったっていいんじゃないか。漢字の読み方っつう、きわめてペダンチックなものを除けば、内容は平易だよ、この本。
いつも思うんだけど、こういうのって編集者の手抜きだと思う。それとも学者の先生って、仮名をふることも拒否なさるほど頑固なのかなあ。どうなんだろうか?ぺりかん社さんよ。
- 作者: 玉懸博之
- 出版社/メーカー: ぺりかん社
- 発売日: 2008/03
- メディア: 単行本
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