咳が止まらず、苦しい

 ひどい喉風邪をひいてしまった。ここ何日か、夜、寝つくまでが大騒ぎである。横になると同時に咳き込み始め、タンが切れないため、喉が痛くなるほど咳払いを繰り返す。そのうち呼吸できなくなり、のたうちまわる。
 なんと、これが夫婦で同じような症状なのだ。別に、「前立腺ガン明け」の姫始めをしたわけでもないのに。

 そんなわけで、7日から始まった会社を8日・9日と休み、あらためて本日出社。まあ、年が変わっても・・、会社のことは書きたくない。

 休んでいる間に、松岡正剛「誰も知らない世界と日本のまちがい」(春秋社刊)を読む。誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

 これを読むと、若い頃アメリカが嫌いだったわたしと、アメリカ大好きだったバイト仲間のS君との喧嘩を思い出します。とはいっても、アメリカだけが「悪い国」というわけではなくて、そういういい方をすれば「善い国」なんか想定することも難しい、という世間知は、さすがにわたしも身につけております。

 しかし松岡さんが、こんなふうに語ると、それを聞いた若い衆は完全に刷り込まれてしまうのだろうな。わかりやすくて、それでいてハイブラウな感じだし、なんといっても圧倒的な読書量・知識量だものな。立花某センセみたいだ、というと内心、ふたりとも怒るのかな。でも「すべからく」は、あいかわらず誤用しているし(呉先生、こいつもスベカラズ文化人でっせ。あ、どーでもいい?すんまへん)、なぜかモト闇屋の哲学者の「反哲学入門」(新潮社刊)を並行読みしていたせいか、イマイチ感動できませんでした。もちろん真面目な話として、松岡さんのお話は、編集工学の応用例なのであって、それに共感せよ、と言っているわけではないことはわかります。でも凡人としては、その編集という方法ではなく、結果に目を奪われてしまいがちになってしまうのです。
反哲学入門

 それ以外に、清沢洌「暗黒日記」(岩波文庫)。これも去年あたり読んでいた東条英機の伝記やら日中戦争史、近代日本の思想史などと合わせ読むと、とても面白い。また山田風太郎の日記などと比べても、いろいろ考えさせられる。正直なところ、わたしは風太郎の日記に感動したが、清沢氏の日記にさほど心は動かされない。ただ両者とも、新聞を読んでの感想が多いのは興味深い。清沢氏が国民の程度や政府の程度を嘲笑するのも、新聞論調によるところが大きい気がする。新聞(現代では他の巨大メディアも含めて)に代表される文明が、そこにはあった、ということだ。[rakuten:book:11094289:image:small]