古い文章のリライト

 ことの起こりは立花隆の長い名前の本だった、冒頭に「ハエとハエとり壺」という本の話がでてくる。それを読んでみたい、と思った。幸い、県立図書館の蔵書だったから借りて読み始めた。しかし途中で、誤訳ではないだろうと思うものの、日本語としては意味不明の文章にぶつかってしまった。21世紀初頭の翻訳形式、すなわち、必ずしも原文のセンテンスの数と翻訳文の数を一致させず、ときには大幅な意訳をも許容することで、著者の真意を伝えようとする形式に慣れてしまったわたしの頭では、読解できないのだ。仕方なく、意味不明の日本語をもとに原文である英語文を推測し、その意味をさぐりながら読むしかなかった。また意味がかろうじてとれるものの、その回りくどくかつ不親切な言い回しに腹が立つことも多かった。
 そこで入院中に、その文章をわかりやすく書き換える作業を始めた。それでも不明な点があったので、ネットで原文のペーパーバック(古本)をさがし、それを購入した。その上で両者を対照すると、どうやら意味がとれてきた気がした。その結果をワープロソフトで打ち込む。


 以上の作業が、癖になってしまったのだ。最近わたしは難解な本を読み始めると、パソコンに入力したくてたまらなくなる。「自分なら、もっとわかりやすく、こう表現するだろう」というふうに文章を入力する。


 さらに、そうしたタイプ打ちの快感がこうじて、国会図書館の公開デジタル文書(PDF版)「近代デジタルライブラリー」を、テキスト化したりしている。青空文庫ほど原文にはこだわらず、旧漢字はガンガン新漢字におきかえるし、無理な送りや記号も入力しやすいものに変えてしまう。そのほうが絶対読みやすいし、墓の下の著者だって、より多くの人に読んでもらえることを希望していると思うからだ。


 そこで、その結果の一部を公開します。 岩崎徂堂著「中江兆民奇行談」からの1編です。



2008/1/10 追記
 どうも、公開には国会図書館の許可がいるようなので、上記にあったテキストを削除しました。