クリスマス・イブに

 寂れた地方都市の、それも郊外に住んでいると、東京のように華やかなクリスマス気分というのは味わえない。それでも公園にクリスマスツリーが輝いて、ふだんは結婚式場でしかないチャペルが光に包まれれば、それなりに季節を感じることができる。そして都会では見えにくい冬の星座を見上げて、今年1年のこと、これから来る1年のことなどを考えることができる。
 今年は、わたし自身の病気もさることながら、親友の死や親族の死などが相次ぎ、精神的にきつい年だった。反面、1ヶ月の入院や自宅療養、それに休職しての受験などを通し、たくさんの本を読むことができた年でもあった。
仕事を口実に、本を読まず、TVやビデオ、ネットの毎日だった昨年とは違う日々だった。
 また入院中に出会った皆さん、特に年配のKさんに、自分の生を感謝することを教わった。これが今年の最大の収穫かもしれない。

 静かな晩である。ファンヒータとデスクトップの冷却ファンの低い音だけが聞こえている。

 世界は今も戦いが続いている。9.11以来、実は第三次世界大戦が始まっているのだと、わたしは思っている。日本もアメリカ合衆国の側で、戦っていると思っている。アフガンやイラクパレスチナやその他の場所で、多くの血が流されているという事実のもとに、日本を含めた国土が戦場になっていない国々・地域の暮らしがある以上、自分の国がこの戦争のどこに位置しているのか、しっかり認識しなければならない。
 この戦いは、しかし終わりが見えない戦いでもある。しかも油断すると、自分たちが戦っている(相手を追い詰め、死に至らしめている)ことを忘れそうになる戦いである。それは単に、アメリカの敵の立場を支持し、アメリカを非難すれば足りるような単純な構図ではない。忘れてはいけない。日本は決してアメリカによって、戦争に巻き込まれているわけではない。今の日本の生活を続けることが、アメリカ的な価値を否定する側に対する主体的な挑戦であるのだ。

 そうであっても、せめて直接的な殺し合いは終わって欲しいと思う。静かな晩を味わう特権にあって、平和を祈らずにはいられない。来年こそは、わたしたちがもう少しマシな答えを見つけられますように。