退院から2週間

 気の早い女房の指図による、お見舞いいただいた皆様への「快気祝い」配りも一段落。会社にも何度か顔を出し、その後の資金繰りをたずねてみる。まあ、聞かなきゃよかったような話で。

 治療の実際について。

 というか、まあ、この病院にたどりつくまでのいきさつを今日は書きます。

 わたしの場合、ガン発見が今年の1月でした。そこでごく早期のガン(PSA値も4未満)ながら、グリーソンスコアが4+3の7だったような、3+4の7だったような、要するに7でした。

 で、最初の病院の先生が言うには「切りましょう。それで全快です。」

 ところが生体検査の入院時、隣に全摘の患者さんがいて、彼の「男ではなくなった」という嘆きの声が耳から離れない。こりゃまずい。いかに風の吹くままの人生がモットーのわたしでも、ここは道を選ばなければならない、そう思いました。
 家に帰ってインターネットで調べまわり、小線源による内照射療法を見つけ、それを施療してくれる近所の病院を探し、最初の病院の先生に紹介状をお願いしました。セカンドオピニオンやらQOLやら、病気になるまでは気障な言い回しだと思っていましたが、実に切実な問題なのですねえ。

 実は今回、お世話になった先生方とわたしは、偶然に、奇妙な縁があることが後に判明するのですが、とりあえずそういうコネに頼ることなく、正面玄関からセカンドオピニオンを求めることになりました。

 で、セカンドオピニオンでも小線源療法は駄目でした。そこでのグリーソンスコア判定も7で、適応外といわれました。6以下なんですね、小線源は。
 しかし、そこで重粒子線照射の検討を軽くすすめられたのです。わたしの助平そうな外貌と、切りたくないという切実な叫びが、ドクターの胸に響いたのでしょう。放医研と人的交流のある大学病院だったので、連絡もスムーズになされ、約半年後の治療となったわけです。
 もっとも、放医研のグリーソンスコア判定は6で、そこのT先生とどうする?と相談された一幕もありました。しかし重粒子の方が、放射性物質を生涯、体内に入れておく内照射よりも、女房に申し訳が立つような気がして、重粒子を選びました。

 ところが入院後、同室になった方や食堂で同席された方の中には、ご自分や家族の方が、インターネット検索で、この療法を見つけたという方が結構いらっしゃいました。その方々の中には、主治医からあまりすすめられなかったが、自分の判断でこちらの病院に電話をかけ、予約を入れてみてもらったという人もいました。鼻口腔ガンや肺がんの方などでも、自分で見つけた、という人がいました。その人たちが読んだ記事は、患者さん(元患者さん)たちの体験記が主です。
 感動しました。インターネットの普及は、30年前のアクセス権の議論やマスコミ主権論などの議論を確実に、旧理論に追いやっています。世界が変わっていたんです。

 そういうわけで、誰かが読んで少しでも参考にしてくれるように、文章を書きます。