御用始めと法華経

 会社に出て、遭う人ごとに頭を下げて「今年もよろしく」と唱える。あいさつ廻りに出るが、訪問先の社長や担当者もあいさつ廻りで外出中が多い。

 いつもこんなものなんだが、少しむなしさを感じるのは年齢のせいもあるかもしれない。

 3日に講談社学術文庫の「法華経を読む」を買って読み始めた。

 動機は、法華経のもつ活力の理由を知りたかったから。いわゆる新興宗教や新々宗教のなかに、法華経を主題にいただくものが多い。これは単に、現世利益という概念だけで説明することはできないのではないか、と思えるからである。

 それにしても、今のところ、よくわからない。

 救いを求める人々がいて、それに対して、仏が「あなたがたも菩薩行をなすことでいつかは仏になれる」と保証する。

 イエスが、救いを求める人々に、イエスの死を通じて救いが成就することを約束した構図にも似ている。

 しかし、福音書のそれがイエスの伝記の形をとりながら、その教えを伝えようとするのに対して、法華経のそれは、教えそのものが見えてこない。ただ、仏の教えを広げ、人々を救え(菩薩行)と繰り返すだけだ、今のところ。ひとびとを救うとはどのようなことなのか。四聖諦だとか因縁だとかを教えることが、救いなのか。

 なぜ法華経歓喜の教なのか。まだまだ読み込む必要がある。

法華経を読む (講談社学術文庫)

法華経を読む (講談社学術文庫)