加藤周一さん

 12月5日に、評論家の加藤周一さんが亡くなった。

 この人の本を最初に読んだのは、二十歳前の大学浪人の頃ではなかったか。カッパブックスの「読書術」だった。

 内容は昭和30年代半ば頃のものらしく、当時(昭和50年頃)でも、テレビに関する記述などが時代遅れの感じがした記憶がある。しかし、なかで紹介されるエピソードが面白く、一日一冊主義の読書家や、本を読むためにベッドを使う話などは、大学に入ってから真似をしたものだ。

 その後に、岩波新書の「羊の歌」を読み、猛烈な感動を覚えた。自分の考え方の方向を決定づけられたといってもよいかもしれない。そこから加藤さんの師である渡辺一夫先生の著作を読み始めたのが、本格的読書のはじめである。加藤さんの本も少しずつ読んだ。しかし内容が、当時の自分の興味の外にある本が多く、時折、新聞や雑誌で見かける時評のような文章でしか、加藤さんの文章に接する機会がなくなっていった。それでも、司馬遼太郎さんの小説を読んで、日本歴史を語る友人たちに対して、一定の批判的視点を持てたと自負できるのは加藤さんの著作を多少なりとも「かじった」からである。

 時代がかわり、戦後史観や進歩的文化人という単語が揶揄される対象として取り扱われることも多くなった。
先日亡くなった筑紫哲也さんに代表される「朝日ジャーナル」的発想は、NETでは袋叩きにあうことも多く、また確かに多くの課題を解決しないまま、一時的にだが「正義」に祭り上げられた憾みがある。

 そんな風潮のなかにあって、代表的進歩的文化人である加藤さんの文章は変わらなかった、という印象がある。もっとも「夕陽妄語」程度しか読む機会がなかった自分に、評価をする資格はないだろうが。

 加藤さんは、半世紀も前から国際的視野で考える愛国者だったと思う。「国際的視野」は、たとえば今再評価されている白洲次郎や、多くの先達が有していたものであり、インターネット環境が充実してきた今日こそ、NETユーザー(日本人も含めた全世界の人々)がその充実を自覚すべき必須の素養なのではないだろうか。

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)